オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史
米国に日本アニメはそのまま輸入されたことはなく、改悪の連続であったと。
あとアカデミズムからの深読みによる不思議な解釈が笑えました。押井守、米国からも深読みされています。いや深読みしたくなるほど魅力的ということでありますね。
米国に日本アニメはそのまま輸入されたことはなく、改悪の連続であったと。
あとアカデミズムからの深読みによる不思議な解釈が笑えました。押井守、米国からも深読みされています。いや深読みしたくなるほど魅力的ということでありますね。
講談社ムック「セオリー」シリーズ第三弾。サービスとはなにか、客の心をつかむとはどういうことか、についてよってたかっていろんな人が語っています。事例はB2C中心ですが、B2Bにも応用効きそう。セブン・イレブン鈴木社長の『サービスは心理戦である』がおもしろかったです。ビジネス書の単行本、あたりはずれあるのにどれもおおよそ1500円程度はしちゃいますよね…。それに比べ、これだけ内容充実していて800円は安いと思いました。
老化の階段昇るー君はまだシンデレラさ。いや、最近、話し言葉がわやなんです。「あれ」「これ」「それ」「どれ」ばかり連発で自分でも何を言っているのかわかりません。うう。こうなったら以心電信ー言葉よりもはやーく♪をめざすべきか(例が古いのも老化現象!)。
そういえば、今日三省堂書店本店前で大声で電話していたおじさまがまさしく「あれそうしといてくれる?」「あいつにそれああしろっていっとくから」のこそあど言葉連発で完全に話が通じていたのです。そういう境地を目指そうということで。
なのでもしおいらがあなたをにらんでいてもそれ、ガンつけじゃないですから。サイコキネッシステレパシー超能力をつかうときですから!
積ん読→だいにっほん、おんたこめいわく史 。「言語にとってブスとは何か」この言葉だけで惚れた。笙野頼子イカしている。
でも、本日自分はニール・ケアリーシリーズ最終巻で手一杯なのでした(『砂漠で溺れるわけにはいかない』)。 ニールの活躍もう読めないのね(涙)…。
戦中戦後、板橋にあった貧民窟で育ったルポライターによる日々の生活と人々の記憶。スラムを上から目線で差別的に魔窟として描くのではなく、貧しくはあったけれども、普通の人たちの自由な暮らしがあったというところを中心として描いています。
昭和初期に「板橋もらい子殺し」事件があり、それを少し調べている過程でこの本の存在を知り、読んでみました。時期的には事件より10年以上後になります。
参考1:板橋もらい子殺し(全員じゃない説)
「だから正確には岩ノ坂が街ぐるみでもらい子を過失死させていたという訳ではなく、岩ノ坂に住んでいた人の一部の人らがつるんでもらい子を過失死させていたと見る方が無理がないだろう。マンモス団地で主婦売春があったからといって、団地中全部の女性が売春している訳ではない、それと同じである。だが外部から見ると少数の女性の行為のせいで団地の女性すべてが怪しく見える。岩ノ坂の話もそれとまったく同じなのではないか」
http://www.geocities.jp/showahistory/history1/05a.html
参考2:岩の坂もらい子殺し(全員ぐる説)
「実際はその村の2300人の人間がこのシステムで生活していた。これはたんに殺したり売るだけじゃなくて、死亡した場合は市民医大の解剖室に売り払うとか、乞食、監獄部屋、娼婦としてきちんと仕分けして売り払う。これが完全にシステマチックに成立していた。もらい子産業ですね。」
http://www.ne.jp/asahi/bodhipress/way/next/crime2.html
平山夢明短編集。コンビニで売っている実話怪談シリーズは自分にはいまいちなのですが、こちらはすごくはまりました。おもしろいっ!血ざんざかざかざかなのに泣ける。ぐっちょんぐっちょんなのに笑える。読んでいて連想したのは、リベリオン?地獄の黙示録?羊たちの沈黙?自分が特に好きなのは「Ωの聖餐」「独白するユニバーサル横メルカトル」「怪物のような顔の女と溶けた時計のような頭の男」でした。
血や死体が出ない話がひとつもないのでそういうのがだめな方はご注意を。いや、自分も、昔、村上龍『トパーズ』読んだときには、「読んでるだけで痛いからやめてくれー(泣)」とか言ってたのにずいぶん耐性がついたみたいです。
宇月原晴明による歴史ファンタジー。ものすごくおもしろかったです。浪の下に本当に都、あったんですね!全編、はかなく塵となって散る、流浪の敗者の方の視点から勝者を見ているところが良いです。勝者を称えることなんざあ文学以外でもできるもんね。源実朝が素敵でした。それでこそ征夷大将軍。
須田慎一郎によるルポ。
消費者金融のどこらへんがおそろしいかのケーススタディ(本書p.167より引用)。
・トータルで200万円借り、毎月45,000円返済していくとした場合
・銀行の金利年1.8%なら→返済期間約4年、支払い回数47回
・利息制限法の上限金利である年18%なら→返済期間約6年、支払い回数73回
・大手消費者金融と同じ年27%なら→月々支払う4.5万円は利息のみで元本がまったく減らず、20歳で借りて60歳になるまで合計2,160万円支払っても、年利27%からの支払いからは逃れられない
ある一定額以上借りると、実質完済が不可能になり、多重債務者への道まっしぐらであると。
待ってました!の藤田貴美『EXIT』の最新刊。最終的にたくやと凡河内の方向性のずれから、VANCAというバンドはうまくいかなくなるのだろうなあという予感をずっとはらみながら(その原因に高梨雪もからむのだろうなあ)、VANCAというバンドがメジャーとして売れはじめるの巻。音楽を題材として扱っているコミックは数多くありますが、ここまで登場人物の存在感、人間関係のおもしろさがあるものは少ないかと。好きすぎて終わることを考えると今から悲しくなってしまったり。
八幡製鉄所で「高炉の神様」と呼ばれ、溶鉱の職工として90歳を越えても働き続けた田中熊吉(1873-1972)の生涯について、製鉄所の創業当時のエピソードを中心に描いたノンフィクション。著者の佐木隆三は作家になる前、なんと八幡製鉄所の社内報編集担当だったそうで、社内報連載記事がこの本のベース。タイトルの「宿老」は八幡製鉄所にかつてあった、熟練工を遇するための定年なしの終身職階のこと。
近代製鉄において立ち遅れていた日本は、ドイツより技術者を招き、教えを乞うたものの、来日したすべてのドイツ人技術者が清廉潔白なわけでもなく、酒好きの素行不良で周囲から嫌われていた人間もいたと。しかしながら、技術を伝えるのに最も熱心な人間もその中にいたと。また、田中が後年、渡独して技術を盗んだときのエピソード、晩年はサービス精神旺盛でタフなエロじいさんとして親しまれていたことなどなど、興味深い内容満載でした。
参考:art randam 田中熊吉
金子毅『八幡製鉄所・職工たちの社会誌』(草風館)…時代に応じて変容した「あるべき職工」としての田中熊吉のイメージについて。
と学会本。
日本史をざっと復習すると同時に古代から現代に至るまでの日本の30人の霊能者の生涯について触れています。「思考フレームワークの変化によって幽霊の見え方が変わる(18世紀まで幽霊は生前の人格を持ち越したものではなかった)」というところはおもしろかったですが、それぞれの霊能者についての話は薄くてややものたりませんでした。歴史を知ると、現在の霊能者に対しても、どこから影響を受けているかが判明して、相対視できるようになる、というのはその通りだと思います。
警告本2冊を偶然続けて読んだのでした。
スガ 秀実、渡部 直己 『新・それでも作家になりたい人のためのブックガイド』(太田出版)。タイトルに新のつかない前作から実例は入れ替えられていますが、主張は変わっていないのでした(10年以上前にCWSで渡部氏の講義受けましたけど、当時からもまったく同じ)。正直、その存在に気づかれず、また守るのが大切であるとも思われていないディシプリンに果たして存在価値はあるのかとか私はちょっと思ってしまいます。いや、目利きが絶滅してしまった世の中でクォリティはどこまで維持できるのか。滅び行く宮大工の技術を守ろうと立ち上がるような人が文学にも登場するのか。そもそも、「文学は革命の代替であってほしい」「メンタリティの新しさが欲しい」という著者のおふたりの願いは、すでに今の時代の要請とは外れてしまっているような気もするのですが。
コモエスタ坂本『低度情報化社会』(光文社)。ご本お見かけするのがごぶさたとmixiに書いたら、ご本人が光臨して三中信宏氏に続いてびっくらげーしょん(死語)でございましたが。一部、論拠なくご本人の感覚だけで書いているから、自分にはちょっとうなずけないところもありましたし(例:「ケータイは性器である」<-いや、電車の中でスーツ姿のぱりっとした人が絵文字満載のかーわいい携帯メールを彼女だかに打っているのをうっかり横目で見ちゃって、「スーツの鎧の裏の見たらいけないものを見てしまったよ!すすすすまぬ!」と恥ずかしく思うことはありますが)」、「結論が書を捨てろ?街に出でよ?え?」と思いましたが、全体としてうなずけました。ネットにひきこもって同質なネットの情報にまみれていると、本当に知力もコミュニケーション能力もしぼんでしまうのです。要注意です。いや反動で鉄や羊毛などの極端な手づくりに走る自分もどうかと思いつつ。
中岡哲郎『日本近代技術の形成-<伝統>と<近代>のダイナミクス』(朝日選書)。幕末以降の日本工業化の歴史と機械紡績、製鉄、造船の興隆について、「なぜ日本は後発であったにも関わらず、ヨーロッパ工業経済にのみこまれず低開発国とならなかったか」という視点から記述。
幕末・紡績・製鉄と自分の好物ぞろいでわくわくしながら読みました。先日、韮山の反射炉を見学しに行ったのですが、水戸の反射炉跡も見に行くつもり。近代製鉄の試行錯誤の歴史、泣けます。
藤木良明『マンションにいつまで住めるのか』(平凡社新書)。マンションの寿命は何によって決まるのかが気になり、購入。マンションの劣化現象のバリエーションとその対策、マンション関連の法律などについてコンパクトにまとめられており、大変参考になりました。
がしかし、本書には事実と異なる箇所が。
「(同潤会)江戸川アパートには中庭を取り囲むようにして住棟が配されており、一階には社交室、食堂、共同浴場が設けられていた。これはまさに、ローマのインスラや円形土楼、そしてわが国の町屋にみる伝統的な集合居住のあり方を近代に引き継いだものといえる」
私は以前、取り壊し直前の江戸川アパートに住んでいましたが、一階にはそれらの共同設備はありませんでしたよ(地下や上の階にありました。ちなみに、共同設備が集中していた一号館の部屋に住んでいました)。いや「一階だろうが他の階だろうがどうでもいいのでは」と思われるかもですが、この本では、ローマのインスラも中国客家の円形土楼も江戸川アパートもその後のマンションも、一階に食堂や共同設備があった点が共通している、という主張をしているので、その主張のために、事実がねじ曲げられてしまうのはおかしいと思ったのです。
証拠:『散歩の達人』1997年3月号のp.5に江戸川アパートの共同浴場の写真が掲載されていますが、キャプションに「地下の共同浴場は住民のみの利用。」とあります。
「スタイルガイドに準拠しているからといって、無条件にユーザビリティが保証されるわけではない。しかし、今や、デザイナはかつてないほど多くの選択肢を手にしている(そのせいで、逆にデザインという仕事が一段と難しくなり得るのだが)」(序章より)。
Webデザインは、ぐらぐらする椅子に座りながら、使うべき公式がわからない入り組んだ応用問題を解いているようなものかもしれないと思うことがある。ガイドラインは、目の前にある問題点(些細に見えるが実は本質に影響する問題だったりする)を解決するには明らかに粒度が違いすぎて使えない。選択肢は多すぎ、デザインにまつわる言説はうるさすぎ(これほど誰もが何かしら言いたがるジャンルも他にないのではないか、自分も含め(笑))、人によってコンテクストの解釈も違ったりする。究極的には選択肢のどれを選んでもそんなに変わりはないかもしれないとも思う(いずれもガイドラインの条件は満たしている)が、そう思ってえいやっと選んだ答えが自分自身にとってぴたっとこない。ぴたっとこない理由がまたわからない。悩んだ末、ぴたっとくる答えをようやく見つけたと思ったら、かつて自分が経験した成功例の焼き直しに過ぎなかったりすることもある。先輩のアドヴァイスなるものすらこれだったりすることもある。
インタフェースにも先人が練りこんできたパターンや用法があり、迷ったときにそれが活用できると知ったら、よるべなきWebデザインの過程での孤独な旅人の糧になりともしびになる、ということをこの書は示している。そしてフルカラーの理由と3,990円の価値は十二分以上にあります。買うべし!
Jenifer Tidwell (著), ソシオメディア株式会社 (監修), 浅野 紀予 (翻訳) 『デザイニング・インターフェース ―パターンによる実践的インタラクションデザイン』
(注…1月20日発売予定の本。オライリー・ジャパンのサイトから予約していたため、早く送っていただきました)
実は藤原伊織作品を読むのは本作がはじめて。『テロリストのパラソル』さえ読んでません。なので、テロリストのパラソルと本作との関連はわからないのでした。また、敵に隙がありすぎてぬるいんじゃないか、幼馴染パートって実はそんなに重要じゃないんじゃないか、世間が狭すぎるんじゃないか、などということを思ったりしましたが。そういうのを全部すっとばして、広告代理店の仕事をリアルに描いている小説として感動しました。
いや、「こんなに筋を通しすぎる会社員って実在しないだろう」「新人たちがあまりにも優秀すぎるだろう」「人はまっすぐで、とりまく環境だけが理不尽なの?現実ってそうでもないんじゃない?」とも思うのですが。そういうのもこの際、すっとばすのです。
プレゼン準備の描写のリアリティがものすごいのです。私が新卒で就職したときの最初の仕事は、数社コンペでのボードプレゼンの準備作業だったのですが、そのときのことを思い出してしまいました。自分は戸塚や平野みたいに優秀じゃなくて、気が利かず、使えない奴だったのですが。
ラストも、単純にがんばったらがんばっただけ報われる、というような終わり方をしないところが良いです。そうそう、そういうことって実際あるんだよね、とうなずいてしまいました。
現実には辰村や立花みたいな上司はいないし、戸塚のような部下もいない。でも、もしかしたら彼らに近いことを自分もできるかもしれない。明日も会社に行こう、という気になります。
デイヴィッド K.シプラー (著), 森岡 孝二 川人博 肥田美佐子 (翻訳) 『ワーキング・プア―アメリカの下層社会 』(岩波書店)。約400ページ、上下二段組という大部の本だったのですが一気に読みました。セーフティネットが少ない社会での貧困とはどういうことか。機会平等が売りだったはずのアメリカ合衆国で、富める者はより富むように、貧しい者はより貧しくなっています。貧困は本人の怠惰のせい、社会制度のせい、などと単純化はできず、実際には原因が入り組んでいます。余裕資産があればリカバーできるはずの少しの誤算や失敗が貧困層には致命傷となると。確実に日本も同じ流れの中にいるので読んでいて恐怖を覚えました。また、後日談が岩波書店サイトに掲載されているのですが、決して明るい話ではないです。うう。
森 行生『ヒット商品を最初に買う人たち』(ソフトバンク新書)。マーケティングのイノベータ理論のみ抜き出してまとめた本。『改訂 シンプルマーケティング』の著者の新著なので大変に期待して買ってみたのですが、新書であるためか、ちょっと内容が薄かったかも。資生堂TSUBAKIの例など、最近の、そして親しみやすい事例をとりあげているためにわかりやすかったですが。これからマーケティングを学ぼうとされる方には良い本ではないかと思います。
毎回作風が違う平山瑞穂の新作『冥王星パーティ』。どの作品も出てくる脇役が奇天烈だけど現実にいそうで(そして作者の安っぽい人間への悪意もにじんでいて)印象に残ります。この作品では望月がそうだったです。秋里和国の美男の登場人物がリアル世界に出てきたらこういう感じになるような。男の趣味がだめだめな都築祥子とおたくで挙動不審で一生恋愛なんてできないと信じている(けれど、後に自己改造によりイケテル君に変身する)桜川衛が出会い、すれ違うお話。
「やり直しなんか、きかないんだよ」(略)
「自分がつけてきた足跡を、消すことなんかできない。そのときどきに自分が取った選択すべてが重なり合って、今の場所に自分を立たせてるんだよ。だから……」
実際には声にならなかったその続きを、衛は頭の中で聞いた。
だから、そこから改めて足を踏み出すよりほかにないのだ。
(p.282-283より)
失敗をなかったことにできる、のではなくて、失敗は失敗だけれでも、そこから前へ進むことができるというメッセージ。また、コダーイ『ハーリ・ヤーノシュ』のツィンバロムが作中に何度か出てきます。ツィンバロムって中国の楊琴(ヤンチン)と親戚の楽器ですね。
GWももう終わりですね。今年は風邪っぴきだったので(ちなみにこの風邪のせいで4月の日記に書いていた亀岡先生の講義の後半を全欠席するはめに。む、無念なり…)、どこにも行かず、ぼーっと『映像の世紀』を見たり、本を読んだりしていました。
小杉 俊哉 ・神山 典士『組織に頼らず生きる―人生を切り拓く7つのキーワード』(平凡社新書)を読んだらすごく興味深かったです。スキル・知識は組み合わせて開拓してオンリーワンを目指すべきとか、今の自分の問題意識にはまって納得したり。
ネット言論で違和感を覚えるのが、暗黙的に以下のような前提があるように見受けられるところです。
ワーキングプアは他人事ではないと私は思っていて、リスクヘッジを日々考えている次第。年齢を重ねるとただでさえ健康上のリスクが増えるのに、職業生活でも年齢を重ねることが必ずしも豊かさに結びつかず、逆にリスクになってしまうだなんて嫌な時代だと思いますが、仕方がありませぬ。というわけで宝島社新書の下流社会シリーズをまとめ読み。
・門倉 貴史 『ワーキングプア いくら働いても報われない時代が来る』
統計をベースにしたワーキング・プアの実情の紹介、個別インタビューによるドキュメント、ワーキングプア問題解決への提案など、読みごたえあり。
・三浦 展『格差が遺伝する! ~子どもの下流化を防ぐには』
インターネットリサーチの結果を元にした、格差再生産の分析レポート。母親にだけ聞いているので実情とはやや違うところもあるんじゃないかと思うのですが、世代間の遺伝(エリートはよりエリートへ、下流は下流のまま)の傾向が読み取れて暗澹たる気持ちになりました。
関連エントリ:ワーキング・プア アメリカの下層社会
http://www.chimimo.com/2007/03/post_32.html
ジュンク堂書店池袋本店7Fでオープン中の佐藤優セレクト書店(5/26~12/1)。
佐藤優・鈴木宗男関連書、ロシア(米原万里など)、イスラーム、キリスト教、仏教、論理学(野矢茂樹など)、ギリシャ哲学(アリストテレスなど)、マルクス主義(廣松渉など)、日本歴史(日本書記、太平記、古今和歌集など)、川上弘美本、猫エッセイなど多彩な取り合わせ。自分は文庫版『仏教の思想』シリーズの何冊かをピックアップして買いました。
トークセッションも2回設定があるのですが、両方ともすでに満席でした。人気ですねえ。
ジュンク堂書店池袋本店 イベント情報
http://www.junkudo.co.jp/newevent/event-ikebukuro.html
ひとりで佐藤郁哉祭りを絶賛開催中。おもしろいっす。
私には常々不思議に思っていたことがありました。
--- 疑問始まり ---
1.なぜ多くの会社の人が「うちの会社は特殊だ」「うちの業界は特殊だ」と言いたがるのだろう? (実はよその会社を見てきた人間の目から見ると、まったく特殊ではなかったり)
2.なぜ自分は常に業界の状況を見て、会社になんらか変革を提案し続けるのをやめられないんだろう?(「視野の広さ」とかを自慢しているわけじゃなくて、もっとプラグマティックに会社が生き残るために必要だと思ってやっているのですが、「なんでそこまで業界動向のチェックが必要なのか」という根っこのところがすごく答えにくかったのです)
3.なぜ自分はGoogle神話を信じきれないんだろう?(Googleがダメだというのではないですが、Googleに学んでも、あの成功の再現性はない、という確信を持っています)
--- 疑問終わり ---
佐藤郁哉・山田真茂留『制度と文化-組織を動かす見えない力』(日本経済新聞出版社)を読んで、これらの疑問が氷解しました。というか目からウロコがぽろぽろ落ちる発見が。
ざっくりいって、企業/組織をとりまく目に見えない文化や制度について、これまで考えられてきた理論の系譜を非常にわかりやすくまとめて解説したご本(まとめがある上に参考文献も豊富)です。主に制度・文化としての環境(マクロ)・組織(メゾ)・組織に属する個人(ミクロ)の3レベルの関係が議論されています。
以下、自分なりのまとめ(言葉足らずで本書のエキサイティングさを伝えきれていないと思いますが。すみません)。
・組織構造や組織戦略に関しては、「効率的で効果的な組織運営をおこなっていくための唯一絶対正しい最適解が存在し、その最適解を見つけた組織こそが生き残り、成長を遂げていく」というような考え方=「効率性モデル」が以前は主流でしたが、実は、中の人などいないように、最適解など存在しないのでした。流行があるだけ。米国で成功例がある手法やそのときに元気で先進的な企業がたまたま取り入れている手法がもてはやされたりします。でもそれは最適解ではなかったり。例えば、90年代にソニーが導入後、他企業も相次いで導入した「カンパニー制」などがこれに当たるのではないかと思われます。
・組織は真空の中に存在している自己完結的な系ではなく、組織を取り巻く社会的、文化的文脈から影響を受けており、約束事(社会的フィクション)によって構造や活動が決められるものなのでした。多くの会社の構造が似ているのはそのためです。たとえ効率的でない組織でも市場から淘汰されていませんし、効率的でないと思われるようなことでも、制度的に強制されて導入する企業も多くあります。
・以上のような考え方は「新制度派組織理論」によるものですが、「効率性モデル」に限界があるのと同様、「新制度派組織理論」に従うと、あまりも文化が何もかもを決定してしまうことになってしまって、今度は、個人の意志や組織の選択により、文化の圧力に逆らった形での変革がなぜ生まれるかの理由が説明できなくなってしまうので、現在は、以下のような「複合戦略モデル」が考えられているとのことです。
・制度・文化としての環境や業界パラダイムから組織は同化圧力を受けていますが、圧力にそのまんま屈しているわけではなく、選択的に同調していると。組織に属する個人も同様、組織から同化圧力を受けていますが、組織=自分ではなく、健全な状態であるならば、組織と自分との間にある程度距離を置いています。また、個人はひとつの価値観にとりこまれているわけではなく、自分の職能に応じた文化や、ジェンダー文化などさまざまな価値観を切り替え、使い分け、バランスをとって生きています。
・組織構造はダイナミックな関係性の中で成立しているのであり、スタティックなただひとつの正解として成立するのではない、というところが自分には大変勉強になりました。
ひとり佐藤郁哉祭り最終日ということで。
結局、佐藤郁哉のフィールドワーク本としては、『フィールドワーク―書を持って街へ出よう 』(新曜社)、『フィールドワークの技法―問いを育てる、仮説をきたえる
』(新曜社)、『組織と経営について知るための実践フィールドワーク入門
』(有斐閣)の3冊を購入。
どれか1冊を選べと言われたら、『フィールドワークの技法―問いを育てる、仮説をきたえる』(新曜社)をおすすめします!理由は、他2冊の内容をこの1冊でカバーできるから。
『フィールドワーク―書を持って街へ出よう 』(新曜社)はフィールドワークの基本を紹介したもので、『組織と経営について知るための実践フィールドワーク入門
』(有斐閣)も、やはり入門書なのですが、こちらは、各章がケース/キーワード/ブックガイド/Q&Aというふうにコンパクトにまとめられていて読みやすいです。
どの本も参考文献が豊富で大変お役立ちでしたよ!QDAソフト本(『定性データ分析入門―QDAソフトウェア・マニュアル』)も買おうと思ったのですが、どうも池袋ジュンク堂で佐藤郁哉本をおいらより早く買っている人がいて、検索機では在庫があると出るのに書棚にはなかったりしました。しくり(先週、『組織と経営について知るための実践フィールドワーク入門』も同じ状態だったので、結局アマゾンで買いました)。
沼上 幹『組織戦略の考え方-企業経営の健全性のために』(ちくま新書)読了。
日本型組織戦略についての入門。すばらしくわかりやすいです。また、自分の手を汚さず、外から論評するだけの野党的な考え方を徹底的に否定していて好もしいです。企業人は自分の企業のへぼさをわかっていないわけではなく、へぼさの中でも改革をなんとかやっていかなくてはならないのですから。
印象に残った部分のメモ:
・組織設計の基本は官僚制であり、それが創造性・戦略性を支える足腰。官僚制すらできていない組織は凡ミスを連発する(官僚制が老化しきちんと機能しないのが悪)
・『ザ・ゴール』のボトルネック論は意思決定プロセスにもあてはまるのではないか
・組織構造を変えることは問題を解決しない、問題を解決するのは常に人
・マズローの欲求階層説で忘れられがちなのは「自己実現欲求」の前に「承認・尊厳欲求」が満たされている必要があること
・公共財・集合財にフリーライドしてくる人に注意
・大きな組織の枠組みや基本ルールはトップでなければ変革できない。会社固有の強みを代表してきた組織の枠組みなどはミドルでは破壊することはできない
・組織に腐敗傾向をもたらすメカニズムとして、「ルールの複雑怪奇化」と「成熟事業部の暇な秀才」がある
自分が今まで勤めた会社で明確に誰が見ても腐っているとわかるのは1社だけだったのですが、本当にいましたよ、ルールだけにうるさい宦官みたいな人。
山本 直人『売れないのは誰のせい?-最新マーケティング入門』(新潮選書)読了。
「売るための知恵」の集積としてのマーケティングを紹介したマーケティング入門書。最近のネットマーケティング系のご本は市場の変化や個別の戦術について煽りすぎだと私は思います。なので、バランスがとれ、かつ俯瞰した見方から書かれた上質の入門書としておすすめです。同じ日本人でも種類が増えており、阿吽の呼吸で通じるわけではないということ、マーケティングでなすべきことは他者を知ること、という主張に大変うなずけました。
毎回作風が違うけれど主人公が常に神経質な人のような気がする、平山 瑞穂 『株式会社ハピネス計画』(小学館)読了。平山作品の繊細なおもしろさをどう伝えればいいのか悩みますが(心躍る冒険とか胸のすく結末などはないので、つまらないと感じる人もいると思います)、自分はハピネス計画社の商品名や飲み屋街のバーの名前などの細部が好きでたまりません。うまいのう。
関連エントリー:冥王星パーティ
調査をするにあたってまず心構えをつくろうと思い、三冊まとめて読みました。
新書ブームで良書がたくさん出ていて助かります。
・谷岡 一郎『「社会調査」のウソ-リサーチ・リテラシーのすすめ』(文春新書)
・谷岡 一郎『データはウソをつく-科学的な社会調査の方法』(ちくまプリマー新書)
・好井 裕明『「あたりまえ」を疑う社会学-質的調査のセンス』(光文社新書)
社会学でいうところの「事実」は変数が非常に多い蓋然性の世界であり(=白黒はっきりしない世界)、また人により実際に生きられている「現実」でもあるため、量的調査をやるにしても質的調査をやるにしても、単純化・過剰な一般化に陥らないよう注意が必要で、繊細さと慎重さを要求されます。
私は常に周囲を見回して気を張っていないと普通からすべりおちてしまうと感じながらずっと生きてきたので(処世術として、最近、世間一般のいわゆる「普通」への違和感を過剰に表現しなくなっただけ)、普通やあたりまえを疑うという態度は身についていると思うのですが、だからといってそういう自分が他者をカテゴリー化して決めつけの目で見ていないかというと、決してそうではないなあとか。
ドン・タプスコット/アンソニー・D・ウィリアムズ (著), 井口 耕二 (訳)『ウィキノミクス マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ』(日経BP社)。
マスコラボの事例を読みたくて購入したのですが、煽り文句(「ウィキノミクス or die」みたいな文言)が何度も何度もしつこく書かれていて、読んでいてうんざりしたので2章くらいで止まっています。群集の叡智をどうマネジメントしていくかについて知りたいのですけれどね。繰り返しを省いてコンパクトに書いてほしーい。後半の方になると大丈夫なのでしょうか。
知識社会学ってすごく難しいです。何が難しさの根源かというと、動き続ける的をこちらも動きながら射撃する必要があり、照準器は普通に暮らしているだけだと目に見えないからゼロインするのも困難で、しかも射撃に使うライフル銃について「なぜそれを使うのか?」「そんなの使っていていいのか?」と常に問われ続けるところです(…成功しているのだろうか、この比喩)。一体何を信じればいいのー。動かない点はどこー。
というわけで入門書から読むことに。というか入門書ばかり読んでいますね、最近。ええ。基礎がないので猛スピードでつくろうとしていますよ。はい。
澤井 敦『カール・マンハイム―時代を診断する亡命者―』(東信堂)。東西の社会学者50人を紹介する「シリーズ世界の社会学・日本の社会学」(全50巻)のうちの1冊です。マンハイムの伝記、マンハイム社会学の全体像、そしてその思想の受容と解釈の歴史についてコンパクトにまとめられています。
先月の知識社会論の授業のトピックで「状況認知論」「状況に埋め込まれた(situated)知」というものを教えていただいたのですが、自分には本当の意味がわかっていない感じがして気持ちが悪かったので、先日からエスノメソドロジー(ethnomethodology)関連のご本を読んでいました。
・前田 泰樹 (編)、水川 喜文 (編)、岡田 光弘 『ワードマップ エスノメソドロジー──人びとの実践から学ぶ』(新曜社)
-> 立ち読み/サポートページ:http://socio-logic.jp/ethnomethodology.php
-> 紹介ページ:http://emca.jp/books_2007wordmap.php
丁寧に解説をされているご本です。しかし、「第1章 エスノメソドロジーのアイデア」を読み終えるまでがとてもキツかったです。いえ、説明がわかりにくいとかこの本が良くないという意味ではまったくありません(真逆です。リファレンスも豊富ですし、「よくある質問と答え」もありますし、何度も読もうと思っています)。世界観自体が自分の持っているものとまったく違うからです。たとえて言うならば、ステレオグラムをはじめて見ようとするときの困難さを感じました。そして読了しても「状況に埋め込まれた」がまだ十分にとらえきれなかった私。お願いだから埋め込むっていうなー!「埋」という漢字には「土の中」という意味が入ってるんだよ!(表語文字野郎の逆ギレ)
ここでmixiで愚痴ってみたのです。困ったときのmixi愚痴ソリューション(こら)。そうしたら上記のご本の編集者の方が見ていただいてですね、「こういう本も読んだらいいよ」という親切なアドバイスをいただきました。ありがとうございます。というわけで、下記の本を読みました。
・上野 直樹、西阪 仰 『インタラクション―人工知能と心』(大修館書店)
西阪先生の説明がものすごくお上手です。ボリュームもさっと読めるくらいでちょうどいい感じ。雲をつかむようだったのが、イメージが湧いてきました。ちなみに今、自分にわかる言葉でものすごくざっくりとsituatedを表現するならば、傷口にしてナイフ、です。すみません。文学少女のなれの果てなもので。
※他のご本についても教えていただいたのでsituatedの旅はまだ続くのでした。以下次号。
前回からの続き。
ジーン・レイヴ /エティエンヌ・ウェンガー著、 佐伯 胖訳 『状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加』(産業図書)を読み。自分が読む順番を間違えていたことに気づきました。
1. 上記本の福島真人解説(認知科学と文化人類学/社会学の文脈における状況的学習の位置づけについて)
2. 上記本の本文
3. 上野 直樹、西阪 仰 『インタラクション―人工知能と心』(大修館書店)
4. 前田 泰樹 (編)、水川 喜文 (編)、岡田 光弘 『ワードマップ エスノメソドロジー──人びとの実践から学ぶ』(新曜社)
この順番で読むべきだったのです。状況論の出てきた背景をちゃんと知らなかったんだから(何に対してのアンチなのかが)わからなくて当然だったような気がしました。自分は無知すぎましたよorz。
福島先生の解説より「社会的行為の様々なレベルに現れる構造性と即興性のヤヌス的両面」(p.147)、そう自分が知りたいのはここですここですここなんですー(って同じ言葉を繰り返せば伝わるってもんじゃないよ>自分)。というわけで次はブルデューとギデンズに行きます。あ。その前に野村一夫先生のご本が先でした。
野村 一夫『社会学の作法・初級編―社会学的リテラシー構築のためのレッスン』(文化書房博文社)読了。
ソキウス・野村一夫氏による社会学の初歩よりさらに手前の入門書。良書です。Webサイトでも全文読めます。
読書やパソコン利用、文献調査やレポートの書き方の作法については他の本にもありますが、私が感動したのはゼミの作法。他では読んだことがなかったです。
他に印象に残ったのは下記の箇所。
・そもそも「ものを書く」という作業は演技である。自分のなかに生じる多様な意見のなかから特定の意見を選択して書くとき、書き手はあたかもその意見の持ち主として演技することになる。まるでその意見しかもっていないかのようにふるまうのだ。(中略)演技して書くことによって首尾一貫した文章が書けるのである(pp.103-104)
・ありのままをよしとする自然主義ではなく、「かのごとく」ふるまう作為が必要(p.186)
私は、真剣に文章を書く際には、実際に書く作業自体より、自分の中に湧いてくる異論反論を